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例題

ローマ帝国の歴史が凝縮された良問です。

必ず答えを出してから先に進んでください。

例題1
ローマ帝国に関する記述として,妥当なのはどれか。(特別区2021)

1 オクタウィアヌスは,アントニウス,レピドゥスと第2回三頭政治を行い,紀元前31年にはアクティウムの海戦でエジプトのクレオパトラと結んだアントニウスを破り,前27 年に元老院からアウグストゥスの称号を与えられた。

2 3世紀末,テオドシウス帝は,2人の正帝と2人の副帝が帝国統治にあたる四分統治制を敷き,皇帝権力を強化し,以後の帝政はドミナトゥスと呼ばれた。

3 コンスタンティヌス帝は,313 年にミラノ勅令でキリスト教を公認し,また,325 年にはニケーア公会議を開催し,アリウス派を正統教義とした。

4 ローマ帝国は,395 年,テオドシウス帝の死後に分裂し,その後,西ローマ帝国は1千年以上続いたが,東ローマ帝国は476 年に滅亡した。

5 ローマ法は,はじめローマ市民だけに適用される市民法だったが,やがて全ての市民に適用される万民法としての性格を強め,6世紀には,ユスティニアヌス帝の命令で,法学者キケロらによってローマ法大全として集大成された。


Xから

【人文科学】ローマ時代

5人の指導者の名前を答えてください

1 アウグストゥス(尊厳者)と呼ばれ元首政を確立。クレオパトラと組んだ三頭政治の1人アントニウスを破る

2 四分統治を敷き専制君主制を確立

3 ミラノ勅令でキリスト教を公認

4 キリスト教を国教化し帝国を東西に分割

5 ローマ法大全をまとめた


ポイント

世界史は出題は少ないのに範囲がとんでもなく広いというやりにくい科目です。

ローマ帝国は紀元前27年から1453年まで1500年近く続いた国で、細かく見ると無数の事件が発生しているので、完璧な知識とするのは無理な話です。

それなのにローマ帝国が出題されるかどうかというと、出題頻度としては5~10年に1回程度ですので、はっきりいって捨てたほうが効率がいい。

ここでは、とりあえず捨てないという選択をした場合に、最小限の努力で、もし出題がされたなら点数が取れる確率が高まる知識を学びます。

目安として、世界史嫌い、ローマって何? そんな国あったの? という方は別の勉強をしたほうがいいと思います。

世界史に多少興味ある方は押さえておいていいと思います。


ローマの政治の変遷と皇帝たち

ざっくりいうと、ローマの政治は共和制→三頭政治→元首政→専制君主制と変遷しています。

だんだん少数の政治家に権力が集まっています。

この変遷にからむ皇帝の名前を覚えるのが大事です。


ローマとキリスト教

ローマ時代、キリスト教は迫害→公認→国教という変遷をします。

ローマの皇帝は、キリスト教の地位向上と切り離せない関係にあります。

以上、政治の変遷とキリスト教に注目して5人の皇帝の名前を覚える、時間が取れればこの5人を軸にして周辺知識を仕入れる、というのがローマ帝国についてミニマムで最大の効果が上がる学習となります。


Xの解答

【人文科学】ローマ時代

5人の指導者の名前を答えてください

1 アウグストゥス(尊厳者)と呼ばれ元首政を確立。クレオパトラと組んだ三頭政治の1人アントニウスを破る

2 四分統治を敷き専制君主制を確立

3 ミラノ勅令でキリスト教を公認

4 キリスト教を国教化し帝国を東西に分割

5 ローマ法大全をまとめた



1 オクタウィアヌス(皇帝になれてうれしくて1オクターブ高い声で歌うイメージ)
2 ディオクレティアヌス(独裁者のことをディクテーターといいますよね)
3 コンスタンティヌス(キリスト教を公(コン)認した)
4 テオドシウス(オドオドして東西分裂)
5 ユスティニアヌス(実は法律のことをラテン語でユスといいます)

ローマについてはこの5人を何としても覚えるのがセオリー

ちなみにオクタウィアヌスの肢が正しいという「オクタウィアヌスの法則」というのがありますが、真実か都市伝説か知りません😓


例題の解答

例題1
答えは1です。

1 ○ ローマは建国以来、元老院が合議制で政治を行う共和制の国であったが、やがて権力の集中傾向が見られ、第1回三頭政治(カエサル・ポンペイウス・クラッスス)、第2回三頭政治(オクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥス)を勝ち上がったのがオクタウィアヌスである。オクタウィアヌスは三頭政治の一角アントニウスを破り、アウグストゥス(尊厳者)と呼ばれローマ帝国の初代皇帝となった。この時代の政治を元首政(プリンキパトゥス)という。

2 × ローマは共和制をルーツとする国だが、やがて東方世界の専制的な政治体制を志向するようになる。3世紀末に四分統治制(四帝分治制)を採用したのはディオクレティアヌス帝である。ディオクレティアヌス帝は、皇帝を神として礼拝させる一方、東の正帝の下で三人の皇帝が統治にあたる四帝分治制を採用し、専制君主政(ドミナトゥス)を確立した。

3 × ディオクレティアヌス帝の死後、ローマは4帝が並立する混乱に陥った。コンスタンティヌス帝は帝国の統一を回復し、ローマから東方のコンスタンティノープル(現在のトルコのイスタンブール)に都を移した。コンスタンティヌス帝はミラノ勅令でキリスト教を公認し、ニケーア公会議でアタナシウス派を正統教義と認めた。アタナシウス派は神とキリストと精霊は三位一体であると説いたのに対し、異端とされたアリウス派はキリストに人性を強く認めた。

4 × テオドシウス帝はローマ帝国を東西に分割した皇帝であり、キリスト教を国教としたことでも知られている。東西に分裂した国のその後については、西ローマ帝国がゲルマン民族の大移動によって476 年に滅亡したのに対し、東ローマ帝国は東西交易路の拠点であったコンスタンティノープルを都に1453 年まで存続した。

5 × ユスティニアヌス帝は6世紀に東ローマ帝国の版図を地中海全域に拡大し、東ローマ帝国が15世紀まで生き延びる基礎となった。広大な領土で適用されたローマ法は万民法としての性格を持ち、ユスティニアヌス帝が「ローマ法大全」を編さんしたことで後世の法律学に多大な影響を及ぼした。なお、キケロは三頭政治時代の政治家・著述家である。